欲しがります負けたって

ミュージカルと旅とたべもの

The Lord gave, and the Lord has taken away.


「『わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ。』 このような時にも、ヨブは神を非難することなく、罪を犯さなかった。」(ヨブ記1章20節)

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ベネディクト・カンバーバッチジョニー・リー・ミラーのNational Theatre作品『Frankenstein』映像版を観てきた! ので感想まとめ。

フランケンシュタイン博士:ミラー
The creature:カンバーバッチ

フランケンシュタイン博士が怪物を作る」というストーリーしか知らない状態でどんなホラー作品かとびくびくしながら観たら、予想を大きく裏切られた。
確かにSF要素はあったけれど、神と人、父と子の物語であり、原罪の訓話だった。
後から調べてみると原作の原題は「Frankenstein,or the modern Prometheus」だった。
プロメテウス!なるほど最初からそういうテーマの小説だったのね。

随所にあるローマ王の復讐や失楽園の引用や、creatureが生まれてから人になるまでに触れるものの順番、最初に教わる言葉がPARADISEであること、などすごく宗教的なメッセージを濃く感じる脚本だった。と同時に、演出家がインタビューで語っていたように「人はどこまで神に近付き、命に手を加えることが許されるのか」という現代にも通じるテーマを考えさせられる作品だった。
実際『フランケンシュタイン・コンプレックス』(創造主に成り代わって人造人間やロボットといった被造物を創造することへのあこがれと、さらにはその被造物によって創造主である人間が滅ぼされるのではないかという恐れが入り混じった複雑な感情・心理のこと。from Wikipedia)の考え方がロボット三原則が生まれた基礎となっているらしいし。

タイトルにした「主は与え、そして奪う」という言葉はcreatureが盲目のおじいさんとの会話で発する台詞。
彼は神(博士)によって命を与えられ、生まれてすぐ見捨てられたため人間に忌み嫌われ迫害される。彼はヨブやおじいさんのように神を疑わず試練を全てを受け入れたりはしない。
すべてを奪われた、というより命以外何も与えられなかった彼は創造主である博士に復讐する。

キリスト教的思想でいえば、人は神によって楽園を追放されても、創造主を疑ったりましてや恨んだりしてはならないんだろう。
でも、creatureにとっては博士こそが父であり神であったけど、博士もまた神の創造物である人に過ぎなかった。
そしてどれだけ知識を身につけ愛を知っても、creatureは人ではない。
どれだけ中身が人に近づいても、creatureには最後まで名前が無い。
博士はごく自然にHe's speaking!ではなくIt's speaking!と言う。creatureがITを強調して返事するのが切ない。

なぜcreatureは最後まで人になれないのか、この作品で描かれている原罪とは何なのだろうと考えた。
アダムとイブはエデンの林檎を食べて人類最初の罪を犯す。故にその子孫である人間は生まれながらに罪を負っている。
劇中に「私はもうエデンの林檎を食べてしまった」という博士の台詞があった。
彼は人体錬成という禁忌に触れ、神を裏切った結果creatureを生み出す。
そして生まれた時には純粋無垢だったcreatureを人殺しにしてしまったのは彼を見捨てた博士や彼を迫害してきた人間だ。
だからcreatureにはおじいさんが説明していた、先天的・後天的どちらの原罪をも負っているということなのかな。
個人的に「人間は皆アダムとイブによる原罪を負っている」という説はどうにも受け入れがたいんだけど(仏教性善説の方が気分が良いと思う…)、エデンの林檎を博士の犯した罪に置き換えると「人間ごときが命の作り方なんか知ってはいけない」という括りでなんとなく納得できるような気もする。

それから、creatureの復讐の動機についても。
一瞬しか見てないし会話もしてない、完成してない怪物だけど、渇望していたパートナーだからcreatureは彼女を愛する。だから博士が彼女を「壊した」のは彼にとっては「妻を殺された」ことになり、エリザベスを殺す理由になり得る。
…という流れなんだけど、やっぱり「約束を破った」と台詞で何回も強調していたことが引っかかる。
おじいさんの時もそう。愛されなかったことより見捨てられたことより石を投げられたことより、誰かに「約束を破られた」ことが彼の殺意に繋がる。
彼があそこまで「約束」にこだわり、台詞でも随所でpromiseが強調されているのは、原罪がそもそも「アダムとイブが神との約束を破った」ことに由縁しているからかな、なんて思ったりもした。
与えたり奪ったりすることより、「約束」することの方が重い、という。
深読みしすぎかなー。

これが私の創られた過程か、私でさえ吐き気がする、とcreatureが言うほどの行為を、医学のためだと一般人に命じる博士。
ここらへんJtR思い出したけど、博士は別に医学のためでもましてや愛のためでも無いし自分でやらないし手に負えないな(^O^)
creatureとの取引に応じ妻を作ることにしたのは、彼に同情したり捨てたことに罪悪感を持ったからではないし、エリザベスが死んだ時、まだ暖かい、私なら生き返らせられる、と博士は叫んだのも、彼女への愛からではない。
人を創りたかったのなら私と結婚し子を作ればよかったのだ、と言ったエリザベスに、違う、そんな小さな話では無いんだと博士は激昂した。
違わない、it's about your PRIDEというのがまさにその通りなんだなあ。彼女の方が真理を見ていた。
エリザベスは教育を受けていなくても博士よりよほど物事の本質を理解していた。
そして博士に愛されていないことを知っていても献身的でストレートに愛情を表現してきた。それなのに。
あの芝居は何であんなに女性の扱いが酷いのかなーー原作者が男性なら暴れたいところだけど、当時の若い女性から見た世界ってああだったんだろうなあと透けて見えるのが哀しい。

エリザベスの愛も死も博士を変えることはなかったけど、唯一、無垢な弟の存在だけは、彼にとって特別だったのではないかなと思う。
弟を探しているときは肉親の愛情で動いているように見えたし、実験室で弟との自問自答があったから罪悪感で嫁を殺したんだろうし。


博士はcreatureの知性と感情、自分の実験の成功に感動しWhat have I made!と叫ぶ。
エリザベスの亡骸を前に、博士の父もWhat have I madeと呻く。私は息子を正しく育てるのに失敗したと。
父と子のパラドックスが面白い。
実際は失敗しているけど成功したと思っている息子と、そんな息子を作ってしまったと嘆く父。
それはきっとそのまま、神と人間の関係にも当てはまるんだなあ。

博士とcreatureの関係が凝縮されているのが北の果てでのラストだと思う。
creatureがずっと欲しかったものはエリザベスが与えてくれた。彼もそれを理解していたのに彼女を殺した。
復讐心のためでもあるけれど、彼が最も欲していた創造主の愛のために。でも北の果てでやっと、それは元から博士の心に無いものだと気付く。
博士がYou're my DESIRE.と言う時、支配者、神はcreatureになったかのように見える。ついに愛してくれるのかとcreatureは喜ぶけど、一瞬で否定される。
そして今度は追放されるのではなく、自らの意思で博士との鬼ごっこを再開する。
博士は愛を知らないけど、creatureは知っているから。博士を憎みつつも愛しているからこそ、これからも博士の望む形、追われる者として存在する。
私はこのラストにあまり悲壮感を感じず「神と人のいたちごっこはこれからも終わらない」ということかなと思ったのだけど、北の果てということから「神の手の範疇を超えてしまった2人は人の住むparadiseから永遠に追放された」とも解釈できるなあ。
そこらへん、普段の私ならもっと楽しく妄想できるはずなんだけど(お互いのためだけに存在して2人で滅びるまで追いかけっこするなんて設定、大好物だ)なんせ宗教的要素が強すぎて彼らを単純に個人として見られず、あんまりそういう感じ方ができなかった…くやしい。

要するに私は結局フランケンシュタインを親子の話というよりは原罪の話と捉えてしまったんだけど、他の方の感想を見るとどうやらそれは観た配役に依るところも大きいみたいなので、なんとしても役替わりも観なければ!
今更だけどcreatureってほぼ出ずっぱりで、演技力はもちろん本当にエネルギーの必要な役だと思う。
立てないモノだった彼が人になっていく過程はインタビュー通り、幼児を思わせた。悲痛な表情は抱き締めたくなった。彼が博士を演じているところが想像できない。

この作品を観ているとひたすらcreatureが可哀想で庇いたくなってしまうけど、あんなに利己的な博士が完全な悪者には見えないのは、これが人類のしてきたことなのだと思わされるからだろう。
死体から人を創ることと、遺伝子をいじって動物をつくることの何が違うといえるのか。
どんな人間も、怪物ですら生まれた時は純粋無垢な心を持っているのに、いずれ群れ争い殺し合うのはなぜか。パートナーと愛し合い家庭を築く、それだけの幸せに満足できないのは何故か。創ってくれと頼んだ覚えはない、と叫ぶcreatureの声が痛い。

最後にDanny Boyleの演出について。
草と水の使い方とか、冒頭の線路にゴーグルつけた文明人が列車のようなもので火花を散らしながらやってくる演出とか、ロンドンオリンピックの開会式っぽかった。笑
監督の作品は本当にスラムドッグミリオネアとオリンピック開会式しか見たことないんだけど、普段も舞台演出されてるのかな?
たくさんの電球で作った照明と、電流ビリビリ音と、心臓音の使い所の違い、心臓音で始まって心臓音で終わる意味とか。
あとあの、牧羊的な曲が流れるところとか鳥の鳴き声が入るところとか、音の演出はすごく意図的だったと思うのだけど、もう一回観たらもっとわかるのかな。
花道に続いていた2本の桟橋セットはどういう作りになっているんだろう。他の舞台の時はどうなるのかな~劇場全景が観たい。思ってたより客席も少なかったし、円形が迫り出してる感じなのかな。
うーん、一度に集中できる目と耳が足りない。繰り返し観たくなる作品だった。

しかし世界中の人が映画館でこんなに濃密な演劇体験ができるなんて、凄く贅沢な時代だなあ。
War HorseがCMにあったのに日本の上映一覧に無いのはやっぱり来日公演あるからですよ…ね…?オーブ行くしかないか…^q^